見下す蠍の徒然

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「ガチャに9万円」はなぜ認められないのか?

我がグラブルのアカウント(課金額0,ほぼモバマスコラボしかやってない)にも、侘び石が放り込まれていました。

 特に欲しいのもないし、こだわりもないので10連回してみた結果wwww

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いらない(確信)僕は決してグラブれない。はっきり分かんだね

 

このように、ガチャ3000円分回したところでゴミしか出ないわけです。

 

本題に移ります。なぜ、ガチャに9万円かけるということには社会的に認められないか?

安倍吉俊先生曰く

 

NEWS | グランブルーファンタジーの、

1つ目は、ガチャイベント開催期間中にご利用回数が一定数に到達した際、対象装備品の中から好きな装備品をひとつ獲得できる機能を実装いたします。 

 

のことですね。

 

先生曰くこれは「皮肉」とのことですが、9万あったら・・・普通、というのは真実なのだと思います。

(ところで9万で買えるカメラとかレンズって入門用なのでは。。。)

なぜか?

 

ある人曰く

「データだから」

しかしこれには容易に反論が思いつきます。

KindleやMP3音源だってデータでしょう」

またある人曰く

「サービス終了したらもう自分のものではなくなるし、そもそも所有権が最初から認められないものに9万はおかしい」

しかしこれもKindle等にそのまま当てはまる論理であります(まあAmazonAppleがサービスを終了する危険はソシャゲと比べて低いとは思いますけど)。

これらとの間の差異はあるのか?ないなら、「データだから」という論理は立ちません。

Kindleに9万払うことは、社会通念上「認められている」と言えるからです。

またある人曰く

「狙った物が手に入らない」(ガチャを回す権利を買っているに過ぎない)

これは有力な理論です。一般にはこれが当てはまると思います。

しかし、今回のグラブルの方策だとか、いわゆるボックスガチャでは一定額払えばお目当ての物が手に入るわけで、それは当てはまらない。

一方で、それが当てはまるガチャも存在するわけです(例えば、スクフェスとかデレステのガチャ、モバマスで言うと月末ガチャなんかは青天井)。そして、一般の目からはこの2つの区別は全くつかない。

このフィルターを通すとき、たとえ狙った通りのものが手に入る(≠ギャンブル)ものであっても、手に入らない(=ギャンブル)と同一視されてしまうのです。つまり、どちらにも

「狙った物が手に入らない」(ガチャを回す権利を買っているに過ぎない)

 

が当てはまってしまうわけです。

これが9万円が認められない理由なのではないか、と思います。

そもそもデータに9万払うことがおかしい(Kindleとの区別をつけない)派閥なども存在するんでしょうけどね。

 

 

というかよく読むと、

対象装備品の中から好きな装備品をひとつ獲得できる

ってあるんですけど、召喚石は手にはいらないんですか(震え声)

 

追記

私見としては、自分でわかってて課金してるんだから、それは自己責任、ということになると思います。

もちろん、上記したような偏見の目でみられることも含めて自己責任です。

それに対してKindleだって同じだとか、旅行だって一銭も残らないだろう、だとかそういうことを強弁するのは勝手ですが、それは聞き入れてもらえないよ、というのがこの記事の趣旨であります。

ただそうとも言い切れない一面がありまして、

japan.cnet.com

このようにリスク・リターンの判断ができない子供については引用先で取り上げられているような保護が必要と思います。

刑事政策とか社会福祉の議論でも言われていることみたいですが、一見健常に見えても、実際には知能が遅滞している人がいると。そういう人たちも課金はできる上に、子供のような保護を受けられないわけで、その辺をどうするのか?というのも課題なんじゃないでしょうか。