見下す蠍の徒然

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IF YOU WANT TO FIGHT, BE STRONG!!

米澤穂信「いまさら翼といわれても」twei

前にこの本については感想を書きました。

 

look-down-scorpion.hatenablog.com

 この後シリーズを読み直し、少し感じるところがありましたので、少し追記。追記なのでだいぶとりとめないです。

 

奉太郎のモットーはご存知

「やらなくても いいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」

です。しかし、巻数を重ねるごとにそのモットーは形骸化していき、その一方で自分への言い訳は巧妙になっていきます。本巻にはそのようなモットーを掲げることとなったそもそもの話がありますが(「長い休日」)、この話からして、休みで天気が良く、エネルギーが余っているから少し離れた荒楠神社まで行こうか、という里志が聞いたら仰天するような行動を奉太郎はしているわけですよ。最後に出てくる姉のセリフ、「きっと誰かが、あんたの休日を終わらせるはずだから。」とありますが、もう休日は終わって、月曜の朝飯を食べているくらいの、そんなお話だと思います。

 

そう見ると、「箱の中の欠落」で里志のお願いに付き合うなんてのもらしからぬ行動で、「で、何を隠してるんだ」なんて言わなかったと思うんですね、かつての奉太郎なら。一度問題となってしまえば、解決まで考えるのは最初からそうだとは思いますが、問題に関わる積極性が出てきた、それはやはりえるの働きなんでしょうね。

 

 とは言いましても、「鏡には映らない」では中学時代にいささか積極的な動きを見せていることが少し気になります。目の前の悪意が看過できなかったのでしょうが、一応これは説明できるのでしょうか。そもそも奉太郎が動くか/動かないかの基準が明確になるほど事件があるわけでもなし、分析に意味は無いと思いますが。はて、積極的に動いた結果学年全体からの嫌われ者になったと考えれば、積極的に動く→悪い結果ということだけが奉太郎の中に残り、モットーに拍車がかかった……なんて考え方もできそうです。

 

「連峰は晴れているか」。これなんかも、小木とヘリの話なんて二度とするかどうかも怪しく、奉太郎のするような気遣いは必要かといえば不要に近いものがありまして、そうするとそのために図書館まで言って調べる、というのはモットーに反するかと思います。やはり「気になった」ということなのでしょうか。

 

以上の4つの短編は、奉太郎の変化を如実に示すものと言えるのではないでしょうか。

 

しかしこの視点から考えても、「いまさら翼といわれても」のシチュエーションでしたら、昔の奉太郎でも同じ行動をとっていたかと思うので、この話は少し違うというか、やはりえるが主人公の話なのだと思います。殆ど出てきませんけども。「ゴドーを待ちながら」とは違いますけども、そういうことでしょうか。

 

本巻の話は、大別すれば奉太郎視点のものと摩耶花視点のものになるわけですので、摩耶花のものは記事を改めて触れたいと思います。また、「いまさら翼といわれても」もやや異色のお話、ということで記事を改めます。